心を結ぶタイヨウハウス代表の門馬美輝さんを取材しました☆
どうも、ヤッターマンです。
やっと花粉から少しは開放されてきております。
花粉と戦いながら記事書くのはすごく大変なんですが、
障害やハンデのある方はもっと毎日が大変だと思います。
今回、縁があり心を結ぶタイヨウハウス代表の門馬美輝さん(写真左)、木村事務局長さん(写真右)を取材させて頂きました。
取材して思ったことは障害に関してまだまだわからないことがたくさんあって、
もっと障害者やバリアフリーに対して考える必要があるなと感じました。
目次
1.門馬美輝さん、木村さんの紹介
2.NPO立ち上げの経緯
3.クラウドファンディングをやってみようと思ったきっかけは?
4.起案達成までの活動について
5.今後やっていきたいこと
1.門馬美輝さん、木村さんの紹介
門馬美輝さん
東京都出身、2歳の頃に両親が離婚し、母と兄と門馬さんの3人家族。
小学校で初めてできた友達が障害者で、学校は嫌いでしたが盲学校、聾学校などの屋外授業が好きだったそうです。
中学3年のときに身体の一部に痛みが出て、それがどんどん広がっていき、最終的には全身痛くなります。
高校を卒業後、就職し28歳の時にたまたまインターネットの広告で「意味のわからない痛みに苦しんでいませんか?」という広告を見つけ、クリックしてみるとそれは治験の広告で、病院に行くと繊維筋痛症と診断されます。
病気になったことで仕事を解雇され、そこでハンデのある人に役に立ちたいと思い、
NPO法人 心を結ぶタイヨウハウスを立ち上げ、活動されております。
木村さん
NPO法人 心を結ぶタイヨウハウスのメンバー。
門馬さん曰く、どん底から立ち上がったメンバー代表。
メンタルが不安定で自分のやっていることが記憶に無くて、社会的迷惑なことばかりやってきたそうです。
しかし話を聞くと、やりたいことがいっぱいあり、現在は就職活動をしながらNPOの仕事をされており事務局長として活動されております。
2.NPO立ち上げの経緯
ヤッターマン
NPO法人を立ち上げようと思った経緯を聞かせてもらってよろしいでしょうか?
門馬さん
立ち上げ自体は最初は私一人でハンデのある人の役に立ちたいと思い始めました。
私は15歳から全身にすごい痛みがあり、原因がわかったのは28歳の時でした。
治療が始まってからが辛かったです。
病気、障害がある人、もしくは病名はないけどハンデがある人が社会から排除されない世界を作りたいなと思って立ち上げました。
NPO法人になったのは、2017年です。活動自体は2013年からやっています。
ヤッターマン
今はどのような活動をされていますか?
門馬さん
障害者と健常者の価値観の違いを知るセミナーをやっています。どちらが参加しても気づきがあるようにみんなで考えてやってます。参加者が一人でもやってます。
主にSNSで広告していますね。ホームページよりもSNSを見る方の方が多いですね。
(岸和田でのセミナーの様子)
ヤッターマン
木村さんはどのように出会ったんですか?
門馬さん
彼は私が2016年に臓器移植が必要な女の子を助ける活動をしていたんですけど、その活動をしている時に出会いました。
彼はアマチュア無線もやるんです。
彼は極端でやりたくないことはやらないんです。大人からは嫌われてたんですけど。
木村さん
笑笑。
門馬さん
子供が彼にすごく懐いて、この子のために何かしたいと思うようになったんです。
今は13名のメンバーと活動しています。私の考えに賛同してくれた方がNPOに入って頂いています。
こういう障害難病支援をするということは基本的には障害者難病者の偏りにならなきゃいけないんです。そして健常者を否定しなければならない立場になるんですけど、どっちの味方にならないというポジションの人と一緒に活動したいと思っています。
私の考えに賛同してくれる方はなかなかいないので今のメンバーはものすごく貴重です。
福岡にもメンバーがいます。
クラウドファンディングをやろうと思ったきっかけは?
門馬さん
障害者支援は幅広くて、障害者の代表的なものは車椅子の方が一番わかりやすいし健常者の方も一目でわかるじゃないですか。
電車の中でも苦労がたくさんあるんです。車椅子スペースに手すりのあるところにいると急ブレーキがかかっても大丈夫なんですけど、違うところに誘導されちゃうと急ブレーキした時に車椅子ごと転倒してしまうんですよね。そういう恐怖と付き合っていかなければならないことを一般の人も知ってもらいたい。
障害者の方はやってほしいこともあるけどやって欲しくないこともある。
だから、車椅子の方から知ってもらいたいなと思いました。
当事者目線ではなく、助けてくれる人目線でアニメーションを作りたいと思ってクラウドファンディングすることに決めました。
当事者目線で作ると一方的になってしまうので、もっとこうしてほしかったとなると聞き入れがたい。こうしてあげればよかった、本人がどうして欲しかったと聞けばよかったなという内容のものを作ってます。
(国際福祉機器展にて。)
クラウドファンディングをすることで企画に賛同してくれる人を増やそうと思ってました。
一つのものを成功させるということをみんなに体験させたかった。readyforさんを選んだのは達成しないと支援金が受け取れないので、頑張らなくてもお金が受け取れないということをしたくなかった。成功させることをみんなにも知ってもらいたかったし、達成を一緒に味わいたかった。
ヤッターマン
クラウドファンディングを知ったきっかけは?
門馬さん
臓器移植の支援中にボランティアの男の子がいたんですけど、毎年大きなコンサートをやるらしくてそのコンサートの寄付金をクラウドファンディングで集めるときいて、そういうやり方もあるんだと知りました。
4.起案達成までの活動について
ヤッターマン
実際、クラウドファンディングをやっていかがでしたか?
門馬さん
もうやりたくないと思いました。笑
でも、readyforさんは親身で、初心者の方には目標金額を設定してくれて、第一段階、第二段階と達成したら支援金をもらえるようにしてくれたんです。
ヤッターマン
目標金額を数日で達成されていましたよね?
門馬さん
readyforさんが設定してくれたので、
初日からぐっといきましたね。
開始日までの1ヶ月間は毎日毎日いろんな人に電話して思いを話して、ただ寄付してくださいだけではなくこういう想いでやってるので少ない金額でもいいので応援してくださいと伝えていました。
一斉にSNSで発信しても良かったんですが、一人ひとりに直接お願いしたかった。
一ヶ月間それにずっと時間を使ってました。
達成してからは、お礼の報告や集まったお金をどういうふうに使ったかを報告していました。コーディネーターさんのサポートがありがたかったです。
信頼性が無いとクラウドファンディングは難しいなと感じました。
クラウドファンディングを達成するというより、
どちらかというとプロジェクトに賛同して欲しいというのが強かったです。
寄付してくれる方は知ってる方だけかと思ったんですが、見知らぬ方からもこういうプロジェクトを求めていましたと支援頂き本当にありがたいなと思っています。
(彼女が教えてくれたこと 作詞作曲 吉崎さとし)
門馬さん
あと、吉崎さとしさんのことも話しておきたいんですけど。
出会いは私が務めていた会社のイベントに来てくれたことでした。
彼は「作りたい曲」を作る人ではありません。依頼者の希望を尊重して曲を作ってくれます。
わたしの「たくさんの人の心にスッと入るようにしたい」という希望を、歌詞から考えてくれました。次にレコーディングですが、わたしは吉崎さんの弾き語りが好きですが、弾き語りでは万人の心に入らないということで歌い方まで変えてくれました。
彼は若い頃に病気をして立ち直り、人の痛みがわかる人です。
人の痛みがわかる吉崎さとしさんにアニメーションの曲を依頼させていただきました。
5.今後やっていきたいこと
ヤッターマン
今後のやっていきたい活動はありますか?
門馬さん
バリアフリーという言葉をもうちょっと知って欲しいなということをセミナーしながら考えてるんです。バリアフリーはしてもらう側が横柄になっていて、してもらう側もバリアフリーにならないとバリアだらけになってしまう。
木村さんの車椅子は最近出きたタイプで扱いが難しいんですけど、タクシーに乗るときに車椅子を積みたいと言ったときに乗車拒否されたみたいなんですけど、「障害者差別だ」と言った時に、それはできないことなので差別とかではないと思うんです。
できることとできないことがある。
相手のことを考えてあげれないのはバリアフリーじゃないと思うんです。
障害があってもなくても相手のことを思っていないと永久によくなっていかないと思ってます。
ヤッターマン
最後に見ている人に一言お願いします。
門馬さん
自分の考えや生き方に人から何を言われてもブレずに信じて貫いていけば間違いじゃなかったと自信になるので、自分を信じて頑張って欲しいなと思います。私が不安になると、彼もメンバーも不安になるので絶対大丈夫って思ってやってます!
ヤッターマン
なるほど。門馬さんの想いや決意が伝わってきて大変勉強になりました!
門馬さん、木村さんの活躍を今後も応援させていただきます。ありがとうございました。
「新刊6月発売です。2年前に発売した3冊とは視点を変えて執筆しております。
2年間でバリアフリーに対する新たな発想が生まれた実感と考えが伝わるよう、社会が良くなるよう想いを込めてる新刊2冊です。
どうぞよろしくお願いいたします。」